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山水について
ホテル山水のあゆみ
- 初代高橋三代吉翁は埼玉県出身で、旧東北本線が開通した事を期に古河駅前で運送業を開業。
- <高橋邸の庭>大正時代初期に高橋三代吉翁が京都から庭師を招き、様々な形の灯篭を配し、枯山水の庭園を造った。
- <本館正面玄関>道路より写した大正時代の洋館。
- 旧杉並町の当地に、外観は洋館の本格的日本家屋を建設。
京都より庭師を招き、枯山水式日本庭園を造り別宅として生活した。
この家屋敷を利用して、二代目高橋フサが昭和22年割烹旅館として開業。
その後、次々に3棟の離れを増築し、「割烹旅館山水」を不動のものにした。
- 大傘を捧げ、人力車で大僧正のお出まし。
- 本館2階よりうつした山水正面入り口。
- シュロ山、芝庭、手前は枯山水の日本庭園。
- 旧山水の玄関脇にあったレンガ造りの2階建ての大きな「蔵」にのっていた「鬼瓦」。
- 昭和52年離れの1棟を潰し、張り巡らされていた塀の一部を取り除き、新たに「和風れすとらん杉並(和室3部屋、テーブル席5席)」を併設。
昭和57年に「和風れすとらん杉並」に和室1部屋を増築し、昭和63年7月全面新築のため「割烹旅館山水」を閉店。
平成元年9月「HOTEL SANSUI&割烹山水」ホテル客室48ルームバンケットを兼ね備えた大小宴会場を新築。
平成9年にホテル客室28ルーム増築し、現在に至る。
淳宮殿下御旅館としての所縁
- ホテル山水は、栃木県佐野市における明治天皇行幸の御宿、古河への移築後は大正天皇の第二皇子淳宮雍仁親王の御宿ともされた由緒があり、これを記念する「淳宮殿下御旅館」の門碑が残されています。
- 淳宮殿下御旅館。
- 淳宮殿下御旅館の門牌。
- 『本館はもと、栃木県佐野市にありて曾て明治天皇行幸あそばされた時、御宿となり、爾来土地の人々に「塩田御殿」と呼ばれるようになった。当家初代高橋三代吉はこの由緒を尊び、大正五年「塩田御殿」を譲り受け、そのままこの地に移築した。大正七年十一月栃木県下に於いて陸軍特別大演習が行われ、県立栃木中学校に大本営を設け、大正天皇行幸あそばされ時、当家を第二皇子秩父宮殿下の御宿とされた。「塩田御殿」は大正十一年火災に逢うことになったが、「淳宮殿下御旅館」の門牌は当時の記念である。』
- └地球環境に優しい企業を目指し、環境啓発活動に取り組みます。
- └当館ではフードロスに少しずつ取り組んでいます。